オークの小箱(その1)

(岩本陽児:文)

ハロウィーンのお話

(ブリックリング・ホール /ノーフォーク)
10月に入ると、ハロウィーン近し。店頭にはくり抜いて顔をつくり、ろうそくを点 すためのオレンジ色をした大きなかぼちゃが並び、がい骨などの奇怪なディスプレイも ショーウィンドウから道ゆく人を眺めています。精霊が帰ってくる、日本で言えばお盆 に相当するこの季節、イギリスの有名なカントリーハウスで聞かせてもらった怪談話を ひとつご紹介しましょう。

ノーフォークのブリックリングホールといえば、名門、ロージアン侯爵家が代々の住 まいとしていたジャコビアン様式の壮大な屋敷。イギリスを代表するカントリーハウス として、肥沃な土地と先進的な農法に恵まれて、著名なカントリーハウスの多いこの地 域でも特に知られた存在です。第二次大戦前夜に駐米大使として活躍した11代侯爵の 遺言により、現在はナショナルトラストが保有、管理しています。
さて、ここで紹介するお話というのは、それほど昔でもありません。今を去る事20 年ばかり前、ハロウィーンの夜の出来事です。
この館に代々伝わるエリザベス1世の肖像画が、永年の埃でくすんできたために洗い に出されていました。必要な手入れが終わったその絵は、交通渋滞でもあったのでしょ うか、その晩かなり遅い時刻に専門の業者によって届けられました。額縁のついた、か さばって重い油絵の事、人気の失せた館の入り口でその絵が届くのを待ちあぐねていた トラストの職員は、とりあえずそれを晩餐の間に搬入しておいてくれるよう彼らに依頼 して、自分はそこで待っていたといいます。
ところが、しばらくして奥から出てきた業者二人は、それじゃあ、とそのまま帰って 行こうとします。怪訝に思って、書類に受け取りのサインは?と尋ねたら、もういただ いてきましたよ、と言うではありませんか。奥には職員は誰もいないはず。不審がって 問いただすと、晩餐の間に運んで行くと貴婦人の衣装を着た人が私たちを待っていてく れて、目の前でサインもしてくれました、なんならその書類お見せしましょうか、ほら、 この通り。
ところが、どうでしょう。見ると、サインの欄は白いまま。
おかしいな確かに目の前で書いてもらったのに、いや誰もいるはずがない。とりあえ ずみんなして血相変えて晩餐の間に走ってみたものの、そこはしんとしているばかり。
あれこれ問いただすうちに、もとより歴史に詳しいトラストの職員のこと、年格好、 身なりから、16世紀の貴婦人、それもどうやらアン・ブーリンの処刑前の姿に違いな いという確信を得たといいます。
アン・ブーリンは生涯に6回結婚した事で知られる国王ヘンリー8世の2度目の妻。 王の寵愛を得たにもかかわらず世継ぎの男子に恵まれなかったために、浮気をして国王 に背いたとの濡れ衣を着せられ、1536年にロンドン塔で斬首されました。イギリス の黄金時代を築いた有名なエリザベス1世は、その娘にあたります。つまり、娘の肖像 を母親が迎えに来たというのがこの話のモチーフです。
ナショナルトラストの屋敷では、教育上の目的からスタッフが昔のコスチュームを着 用していることも珍しくありませんし、何しろハロウィーンの晩のことです、町ではさ まざまに仮装をした人々が遅くまで出歩いています。そういう晩であるために、出入り の業者にしてみれば、まさか幽霊だったとは思いも寄らなんだというお話。
唯一のなぞは、確かに英王室とも縁の深いこのブリックリングホール、アン・ブーリ ンの時代にはまだ、晩餐の間は建設されていなかったというところです。(もちろん、 西洋の邸の事ですから、長年かけて完成するというものではありますが)。どなたか、 ぜひこのなぞ解きに挑戦していただきたいものです。このほか、このブリックリングに は、17世紀の宗教戦争にまつわる幽霊ばなしもあります。こちらの方は後日のお楽し みにとっておきましょう。
この話は、私がナショナルトラストの東アングリア支部長さんのご招待をうけて、199 6年10月にブリックリングを訪問したときに、この館に長く勤めておられるジョンさんか ら伺いました。

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1 st published : 06.Sep.97
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